弘法大師・空海は最初に建てたのは神社、金剛峯寺の寺紋の謎

沖本然生

2023年09月11日 23:09

ガイドブック、ネット情報、誰しもが行く所は私としては面白くはないので、人と違った行動、謎を訪ねるのが好きです。
今回は高野山の謎探しです。

丹生都比売神社にお詣りした後は正規のルートでなく細い林道を通って高野山に。下界より10度近く涼しくホット。
大門にお詣り、最大の聖地「壇上伽藍」

ここは弘法大師・空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所です。高野山全体の総本堂である「金堂」や高野山のシンボルともいえる高さ48.5mの「根本大塔」が有名ですね。
それより、私は弘法大師・空海がどのお寺より最初に建てた「御社(みやしろ」にお詣りに。高野山に開創にあたりこの領域は元々丹生明神(にうみょうじん)の神領であってそこで空海さんは山麓の天野社から地主神として丹生明神を勧請し高野山の鎮守とされたのです。ここが真言密教の聖地で神仏習合の姿として寺社に鳥居のある姿の原点といえ、空海が神仏習合を広めたといえる証拠と思います。

その後、金剛峯寺へと、ここは高野山真言宗の総本山で誰しもが高野山に来たら行く所ですね。
四国88箇所巡りの最後にお参る人、外国人、観光客、私みたいなオタクが入り交じり大賑わいです。

ところで寺紋が2つあり以前から不思議に思っていたのですが、今回調べ回った結果、それが解けてホット。
丹生都比売神社の紋と何と豊臣秀吉の紋なのです。
お寺が神社の紋なのです。

秀吉を江戸時代農民出身と徳川はさげすみましたが、徳川の元、松平は三河の土豪でありその先祖は工人と云われています。勿論源氏とは後付けの権威付けで何ら関係ありません。自分の神社仏閣には熱心だけで、徳川時代270年あまり徳川寄進は聞きません。それに比して短い年月にも関わらず豊臣はあらゆる文化には惜しみなくスポンサーとなり寄進しています。

帰りは高野山道路が有料時代よく利用した、旧京大坂道、幅2m、ガードレール無し、ライト点灯の恐ろしい山道だが楽しく走行、おかげで山を降りるまで対向車無しでした。
楽しく充実した旅でした。










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