西長堀川界隈
寒いのでウロウロ外を歩くのではなく建物見学を主に考えました。
一同、行ってとのないところだらけと云うことで皆さんに喜ばれて良かったです。
細野ビルヂング
細野組営業部として昭和11年に竣工した。細野組は明治時代、大阪市から大阪築港や御堂筋の工事を請け負い、芦屋六麓荘の総合開発、芦屋学園の創立などを手がけ商都大阪の完成に尽力した。その財力の贅を尽くして凝りに凝った造り。このビルの不思議は窓から柱、階段、部屋、それら全て非対称なのです。貴重なビルをオーナー自ら地下から屋上までを案内していただき感謝、感謝
西長堀団地
日本住宅公団による都市型高層住宅の第1号で1958(昭和33年)に高層住宅の試金石としてこの西長堀アパートを建設した。初期の家賃は2DKで16,500円であり、当時の大卒初任給の1.4倍であった。この住宅には著名人の居住も多く、司馬遼太郎、森光子、野村克也や石浜恒夫などが居住していた。完成時高さも、家賃も大阪一番高い。
土佐稲荷神社(三菱発祥の地 岩崎家旧邸跡)
かつては土佐藩蔵屋敷があり、明治2年(1869)、岩崎弥太郎が、後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で船3隻を入手して海運業を始めました。明治6年(1873)3月、三萎商会と改称。三菱財閥の起こりです。土佐稲荷神社は三菱発祥の地である。
木村 蒹葭堂(きむら けんかどう)
江戸時代中期の、元文元年(1736)11月28日生まれ。造り酒屋と仕舞多屋を兼ねる商家の長子として生まれる。近年「浪速の知の巨人」と称され評価が高いが、その知識や収蔵品を求めて諸国から様々な文化人が延べ9万人彼の元に訪れた。
あみだ池大黒
文化2年(1805)創業。米をおこしの原料にすることを思いつき参勤交代、回船等により全国に伝わる。また日露戦争時には、恩賜の菓子として阿弥陀池大黒のおこしが選ばれ35万箱を3ケ月の納期内に完納しました。おこしは兵隊達の人気を博し、昭和20年(1945)まで宮内省御用達となります。
全国各地から集められた約3500体の大黒様を集めた蔵は、第2次大戦の戦火でも焼け残る。年末の一番忙しいこの時期に貴重な大黒様のコレクション外、対応していただき、あみだ池大黒には感謝の気持ちが一杯。これからも大阪土産に使おう。
あみだ池(和光寺)
阿弥陀池は古代からあって、霊水が湧く有難い池で、廃仏派の物部氏によって池に投げ捨てられた阿弥陀如来が、推古天皇10年(602)に信濃の住人・本田善光に拾われて善光寺まで運ばれたという言い伝えがあります。
鰹座橋、白髪橋、土佐稲荷等この辺りは土佐だらけ。
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