「勝間なんきん」 昭和の時間が流れる勝間街道から紀州街道
なにわ伝統野菜を訪ねての第1回目は「勝間なんきん」です。
大阪市西成区玉出町(旧勝間村)が発祥地。1キログラム程度の小型で縦溝とコブのある粘質の日本かぼちゃ。果皮は濃緑色だが、熟すと赤茶色になり甘みが増す。万延元年(1860)に勝間村の庄屋、百姓らが天満青物市場の行司あてに野菜7品に限り同村内での立売許可願を申し出ましたが、その中にも南京瓜と記載されています。果実は小さいものの美味で勝間村の特産品として、戦前まで生産されました。しかし都市化の影響や西洋カボチャの進出によって廃れてしまいました。
「こつまなんきん」は河内女の愛欲-今東光作こつまなんきん』で一時期有名になりました。
勝間(こつま)街道とは
紀州街道の側道で江戸時代に栄えた、難波から木津を経て粉浜新在家で紀州街道と合流する道で現在でもきっちり存在しています。街道筋には元祖たこ焼の名店や手作り味噌、煎餅、有名?駄菓子製造会社とか手作りで日本一の栄誉に輝いたソースメーカー、果ては他私有演劇が2座もあったり、大阪で天神橋商店街に次ぐ長い「鶴見橋商店街」もありタイムスリップ感が大いに味わうことができます。
明治時代の地図
現在の地図です
生根神社の「こつま南瓜塚」
豊受大御神(食物の神・外宮)より陽の気の精を賜った「こつま南瓜」の御霊を祀っています。昭和61年冬至に、「こつま南瓜祭」が神事として復活したと同時に現在の塚が建立される。
毎年12月の冬至の日に「こつま南瓜祭り」は見物です。
サンヨー製菓株式会社
昭和21年(1946)、菓子製造開始。昭和36年(1961)「モロッコヨーグル」を開発。平成8年(1996)には、普通サイズ11個分のジャンボサイズ「ジャンボヨーグル」を発売して話題となる。
株式会社ハシモト
日本で唯一の型抜き製造メーカで、昭和27年1952)に当地に拠点を構えました。
株式会社池下商店(ヒシ梅ソース)
大正12年(1923)創業。大正15年(1926)にウスターソ「ス、昭和23年(1948)に「クマリソース」(とんかつソース)を発売。大阪で一銭焼きやたこ焼きの屋台などが登場したさいに、酒販店を通じて広がっていきました。工場は昭和30年代に建設。ラベルはすべて手張りで、手作業で製造しています。製造量は年間180キロリットルで、平成19年(2007)には、日本経済新聞のおすすめソースランキングで1位を獲得、知名度は全国区へと広がりました。
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