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2022年07月19日

「乳牛牧跡(ちゅうしまきあと)」大阪の歴史・文化 

 なんと東淀川区に、古代の牧場があったのです。
「日本書紀』535年の9月に、安閑天皇により「牛を難波大隅嶋と媛嶋松原に放て」という記事が見て取れます。古代律令制時代以来、典薬寮(てんやくりょう:朝廷で医薬を取り扱っていた官省)に所属していた牛牧「味原牧(あじふのまき)」がありました。「味原牧」は、摂津市の味原(あじふ)の地から淀川が分流する江口の下流部(現在の南江口・大桐・大道南あたり)に分布していたといわれ、乳牛を飼育していたことから「乳牛牧」と呼ばれていました。なお、姫嶋松原は今の西淀川区姫島あたりで、ここが古代から陸地だったことが分かります。中世には乳牛牧荘とも呼ばれる酪農の拠点になりました。牛牧の住民は牛を飼育して、牛乳や蘇(そ:牛乳を煮つめて濃くしたもの)、酪(らく:牛乳を精煉した飲料、それから作るチーズなど)を製造するとともに、毎年、母牛と子牛を典薬寮の乳牛院に送ることが義務づけられていました。「延喜式」にも大隅嶋牧、姫嶋牧から1日3升1合5勺を調達し納め天皇・皇后をはじめ宮廷で飲用された、とあります。現在の大隅東・西小学校は、大正15年(1926年)に改称する以前は「乳牛牧尋常小学校」と称していましたし、乳牛牧村もあり歴史にその名を残していたことが分かります。

 醍醐(だいご)とは、五味の最高に精製された牛乳の加工品で、濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁とされ、最も美味しい蘇は醍醐味といわれています。今も奈良の明日香に行けば食べられます。飽食の時代の現代人、さて醍醐味となるかは食した人次第。天皇・皇后しか食されなかったものがワンコインで食べれますよ。 

 またネットではコロナ禍による「牛乳」が余るということで牛乳を大量消費できる「蘇」レシピが話題になっていますね。方法は簡単ですが長時間の根気が必要なようです。

ちなみに史料による初めて牛乳を愛飲された天皇は、難波宮におられた孝徳天皇といわれています。
「延喜式」に善和使王が牛乳を献じたので和薬使王(やまとのくすりのおみ)の称号を賜わるとあるのが分かる。善和使王はここ大隅嶋牧、姫嶋牧から1日3升1合5勺を調達し納めた。天皇・皇后をはじめ宮廷で飲用されたとある。このように柴島の地は古代から開かれた地と言える。事実、この地は大阪でも高台であったと言える。もともと大阪は淀川、大和川のが運んできた土が堆積してできた土地で沖積土でできている。そのためほとんど海抜0m地域がおおい。この地は古代より周囲より高地であったといえる。そのため明治28年11月に「桜の宮水源地」が創設され、水道事業がはじまりましたが、その後の水道事業拡張により、数カ所の案のなかから幾多の曲折を経た後、柴島に水源地の建設が計画されました。そして、当時東洋一といわれた「柴島水源地」が大正3年3月に完成その際、候補に挙がったのがここ、大隅の土地です。なぜ高地である必要が、まず流すのに有利、また水害の時水没しにくいなどの理由によります。このように淀川右岸の江口から柴島は古代より微高地だったといえます。