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2024年07月27日

「天王寺蕪」旧天王寺村に残る安倍晴明と幽玄の世界を訪ねる

天王寺蕪は旧天王寺村付近が発祥で、江戸時代から栽培されている。主に漬け物需要が主である
阿部野のこの辺りは古来から畑と原っぱ、いわゆる原野でそこに古墳が点在し数々の能の舞台となった。それらに関する歴史が詰まった地を歩きました。


主な行程
大阪高等学校跡→小町塚・播磨塚→伝北畠顕家の墓→王子卓球センター跡→天王寺蕪記念碑→阿倍王子神社→熊野街道→安倍晴明神社→馬車鉄道跡→松虫塚

天王寺蕪

古地図

阪堺上町線

北畠顕家の墓
伝北畠顕家の墓:北畠顕家は南北朝時代の武将で、後醍醐天皇に仕え、父の親房公とともに奥羽平定にあたった人です。この地は太平記に「5月22日(1338延元3年)、和泉の境、阿倍野にて討死し給ひければ、相従う兵悉く(ことごとく)腹切り疲を被って(きずをおって)一人不残(ひとりのこらず)失せにけり」と記され、顕家公が20余騎の手兵で足利尊氏の大軍を迎え討ち、弱冠21歳で戦死したところと伝えられています。墓碑は、享保年間(380年後)に建てられたものです。

播磨、小町塚
古書「芦分船」には小野小町の墓と伝えられる。零落の果てに死んだとされる小野小町の墓は東北から九州まで全国にあると伝えられる。播磨南北朝時代合戦で戦死した播磨の武士を弔った塚と言われる。どちらもいつ造られたか分からない。もとは古墳ではないか言われている。

安倍清明誕生地
平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明(921~1005)の生誕伝承地であり、寛弘4年(1007)にその死を惜しんで花山上皇の勅により創建されたと伝えられています。
境内には、飛び跳ねた格好の白狐の像(葛の英霊狐飛来像)と「安倍晴明生誕伝承地」及び晴明の産湯を汲んだとされる井戸が並んでいます。


阿倍王子神社の天王寺蕪記念碑
天王寺蕪は旧天王寺村付近が発祥で、江戸時代から栽培されている。主に漬け物需要が主である
阿部野のこの辺りは古来から畑と原っぱ、いわゆる原野でそこに古墳が点在し数々の能の舞台となった。それらに関する歴史が詰まった地を歩きました。



  


2024年07月16日

夏期特別講座 「宗教都市大阪」

「大阪おもしろツァー」夏期特別講座
『宗教都市大阪』

日時:8月6日(火) 10:00~12:00
場所:城東区民センター(4F)
講師:「大阪をおもしろくする会」代表
    大阪歴史案内人 沖本然生
参加費:¥800

終了後 グルメ会有り