オオサカジン

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2023年07月23日

「 コテコテの通天閣がある街「新世界」、その謎を探る 」

日の歴史まち歩きはカルチャー、女性ばかりを連れて新世界の街へ
数日来の曇りか雨の予想が外れいい天気。
この時期の外は熱中症に注意しての講座です。7月の外での講座は残すこと1回のみ。

8月の全ての講座は主催者にお願いして室内での「知っているようで知らない『大阪講座』」シリーズの座学です。

砂の器のロケ地から、無料で楽しめるおみくじがる新世界稲荷神社、謎の路地、大衆劇場、スマートボールで遊んでもらい、ジャンジャン横町、大阪国技館跡、そして通天閣に登楼、最後は新世界名物の串カツ
一同、10時から、14時半までの長時間、真夏の大阪を楽しんで貰いました。
次回の8月はカルチャーの室内での大阪学です。
















  


2022年08月12日

「謎の鳥居」大阪の歴史と文化 

 道を歩いていたら突然鳥居が。普通であればここは神社かなと思いますね。それが都会のど真ん中、オフィス街にあるビルの玄関に、それもビルの敷地ではなく道路上に。こんな景色を想像されたことがありますでしょうか。これがなんと大阪の街にはあるんです。
その場所はというと本町の(大阪市中央区淡路町4丁目4−15)「中井エンジニアリング」本社ビル前です。

なぜそんなところに鳥居があるのか、その理由は、中井ビルの北側に鎮座している御霊神社が関係しています。江戸時代までは神社とともに「寶城寺(宝城寺)」と言われる神宮寺が併設されていました。明治時代の神仏分離令により、そのお寺の敷地が国に没収されたことから始まります。その際、鳥居はここにお寺があり、神社の参道だったことを残すために氏子達が立てたのです。お寺はなくなりましたが時は流れ中井エンジニアリングのビルがお寺の敷地に建ったのです。その際、鳥居だけが現在まで残ったというわけです。以前社長の運転手と話をしたさい、狭い鳥居の間から出入りするので非常に気を遣うとのこと。そりゃ鳥居に当てて折れたりしたら大変。私には無理です。

 なお、中井エンジニアリングは大阪ガスのトップ工事屋で、「ガンコ石橋店」は中井氏の自宅です。このように大阪には??と思われる意味不明のものがあちらこちらに転がっていて、それを訪ね、空想するのも楽しいものです。

 御霊神社は津布良彦神 (旧攝津国津村郷の産土神)つぶらしんで明治17年(1884年)、人形浄瑠璃の劇場「文楽座」が境内に開設。「御霊文楽座」として、文楽二百年の歴史のうちでも、近世文楽における黄金期のにぎわいを見せ〝御霊文楽″の名で親しまれ、「文楽といえば御霊」といわれるほどの盛況を博していました。そのため神社周辺には御霊文楽の観客を目当てに料亭の「魚禰」や天ぶらの「天真」、どじょうの「美濃庄」、うどんの「美々卯」などの店が軒を並べ、大阪人の娯楽と社交の場となっていました。現在も「美々卯」本店が残ります。

 ただ、2022年5月5日現在、中井本社ビル立て替えのため鳥居を含め工事幕が張られ全体が見ることができません。完成した暁には元の異様な風景が戻ることを願います。




  


2019年04月23日

「ノダフジの鑑賞と野田、福島の歴史探訪」




大阪野田の「ノダフジの鑑賞と野田、福島の歴史探訪」を実施。暑いぐらいの好天気。
43人の大所帯を引き連れて野田の迷宮ななとこ巡りをしながら
ただ、場所により一昨年はものすごく咲いたが今年は全く、特に足利義詮、秀吉が愛し、牧野富太郎氏が学名を付けた、メインの藤家、春日神社のノダフジが酷い。
理由は付き合いのあるノダフジの達人に聞いてみると、剪定の力量とのこと。

写真は野田コミュケーションセンターだが一番奇麗に咲いていた。
探訪後は福島の出汁がおいしい「花くじら歩店」で懇親会。大いに盛り上がる。
あと、2回連れて行かねばならないが、今度の土日が最高と思われる。皆さんも大阪にある世界のノダフジを鑑賞されたらいかが。

  


2019年04月03日

実施したJAFS主宰のチャリティウォーク「隠れた桜の名所と弘法大師の霊験を与えらし地をゆく」










新年号が確定し、また新しい門出でもある4月初め、「アジア協会アジア友の会」略称JAFS主宰のチャリティウォーク「隠れた桜の名所と弘法大師の霊験を与えらし地をゆく」
を実施。今回も古地図と現在の地図と読み比べながらの講座です。

大阪城、桜宮と個々今川緑道は大阪3大桜の名所に数えられる所だが陰が薄い。皆さんと古代から現代に続くここ、針中野、駒川、鷹合、湯里地区の現地歴史講座を実施した。
今日も40名近い38名も参加を頂いた。お陰で今回もたくさんJAFSに寄付を頂いた。参加の皆様ありがとうございます。
終了後は恒例のグルメ会、本日は元気で有名な駒川商店街で実施する。
連合会長と交渉し美味しい鉄板焼きのお店で飲み放題付きで¥3000(税込み)、と特別なお値段で鉄板焼きの数々なお食事を頂き、しかも貸し切りで時間も3時間、皆さんと多いに親睦を図れお腹も、心も大満足していただきました。
  


2019年01月14日

今年も大阪七福神まいり


今年も100人を超える人に福をお裾分けしました。

というのは今年も大阪七福神を3回実施、延べ100名を案内した結果です。最後は私の主催する会38名大阪の街を案内しながら七福神を回りました。あともう一つの私の会と、依頼された団体の3回です。

七福神は松の内に1日でおまいりすることでより多くの福をいただけるとされています。
皆さん元気で10kmを時間通りにおまいりできました。

朱印帳は時間がかかるのでミニ絵馬を購入していただいています。7個集まれば立派な絵馬となりご利益も万倍。

皆さんも笑顔、健康万倍、私も健康万倍






1ヶ所100円の小絵馬

  


2018年10月04日

応神天皇から王朝貴族が愛した江口の君の面影を辿る

とある団体をつれての大阪の歴史探訪を実施することに。

ガイドブックに載っていないようなネタを連発し喜ばれる。そのため瑞光4丁目から太子橋まで3時間をかけてゆっくり解説することに。



大隅島
大隅島は4世紀末に応神が置いた大隅宮の伝承地である。また、6世紀前半には安閑天皇(継体天皇の後あんかん)が大隅島に牛を放つよう指示したことが『日本書紀』に記されていることから、古代より牛牧に適した土地であったと推測される。後に宮内省に属する乳牛牧が置かれ、ここから乳製品が朝責されました。神崎川と淀川に挟まれた大隅島にあたる場所は、実は千里丘陵から延びた砂堆の延長上にあり、砂の溜まる高地になっている。

江口
江口は淀川が神崎川へ入る分流点で、「難波江口(なにわえのぐち)」という言葉から出たもので、その地名も江(川)の口に由来する。長岡遷都の翌年の延暦四年(785)に桓武天皇が和気清麻呂に命じ、淀川と三国川をつなぐ開削が行われた。以後、江口は都と西国や外国との交通の要所として栄えるようになった。淀川を上下する河川船と瀬戸内海を往来する海船が、乗り換える場所で「大川尻」とも呼ばれた。そして遊里としても発展し、平安後期には「天下第一の楽地」といわれるほどの賑わいをみせた。色町であり、遊女たちが小舟を操って旅に船に近づき、男を誘った、そういう光景であったといわれる。とくに、江口の遊女は住吉参詣や熊野詣の公家たちをも相手としたので教養も深く、和歌や今様などに秀でたものも多く、芸能や文学が生み出されており,新古今和歌集にみられる。近年の研究によると、中世の遊女は芸能や宿泊業が中心で、近世後期以降のように必ずしも売春を伴っていない。鎌倉時代初期の説話集『古事談』には、左大臣藤原道長の逸話が載っている。『栄華物語』にその子、関白藤原頼通(992〜1074)が江口で遊んだ様子が描かれている。さらに後鳥羽上皇(1180~1239)は再三、水無瀬離宮に江口や神崎の遊女を呼び寄せ宴を開いている。
また、遊女が天皇や院、公家らに寵愛されて子を産んでいる。その子が昇進を果たし、近世以降のような遊女への差別性はほとんどない。今様を愛した後白河上皇は皇子をもうけた。遊女が母親だった公家は多く見られる。武士ではとんでもないスーパースターの源為朝(1139~1170)鎮西八郎らが分かっている。

寂光寺(江口の君堂)
有名になったのは西行法師と遊女との歌問答が有名になったからです。
女性は 遊女妙(ゆうじょたえ)として「新古今和歌集」にも出ています。実は平資盛(とももり)の娘で妙(たえ)といい、平家没落の後ここに来たという。




三千樋
淀川には数多くの樋門がありました。かつて、田畑をうるおすために中津川から用水を引いていました。ところが明治22年からの淀川大改修工事により樋門が取り除かれ、用水を引くことができなくなりました。そのため、用水を引くために普通水利組合が設立され、淀川が東から流れ、南に向かって流れていく地点である大道村大字北大道(現在の南江口3丁目)に三千樋が設けられました。現在はその役目も終わり川跡は駐車場とか、道路、親水公園となっている。

逆巻地蔵尊
昔、淀川を行き来する船にとって、逆巻(さかまき)は難所として有名でした。この場所は水流が激しく帆を逆に巻き付けなければ転覆してしまうと恐れられていたのです。水難事故に伴う水死者供養と船の安全運航を祈願して弘化年(1846)に地蔵が安置されました。当時建てられた場所は阪巻村と言っていたが、この村は明治の淀川改修工事の際、川底に沈みその際、明治31年(1898)に今の場所辺りにあった鶴仏寺の住職が引き取り今より奥まった竹藪の中だったが、大正12年(1923)に観仏寺の住職の娘が夢を見て「お地蔵さんが表に出たがっている」と今の場所に安置したと言われています。地蔵さんの土台には遭難した人の位牌が埋められてその後、ピタッと遭難がなくなったといわれている。

平田の渡し
(へいた)大澤寺(だいたくじ)の住職沢田左平太のへいたからきている。大坂夏の陣で、徳川方に味方し、その恩賞として淀川沿いの16カ所の渡船の権利を受け、沢田太郎左衛門は延宝4年(1676)頃より平田の渡しの。昭和45年に豊里大橋ができるとともに淀川に残る最後の渡しも姿を超すこととなった。
もともとこのあたりは淀川改修までは豊里村、それが淀川改修により2つに分断される。昭和46年に守口側は太子橋となる。これは聖徳太子、当初この地に四天王寺を建立しようとされたが、淀川氾濫による洪水が多かった為、断念したといわれる。この事から、明治初期まで「天王寺庄」の地名が残されていた。 地名の他にも、太子に纏わる多くの伝承な残されている。

大桐町、大道町
もともと、地名は、大道であった。ところが大隅小学校にかつて桐の木が生えており、桐のように子どもたちがまっすぐ育ってほしいという願いも込めて小学校と中学校の名だけに、大桐という漢字を使用していました。そのうち町名自体も大桐変える。その後、1980年の住所変更のときに、南大道の人たちが、地名変更に反対したため、大桐と大道南という地名になりました。ややこしい。

なお今回は太子橋周辺にはかごの屋程度のお店しかないので天六に移動してグルメ会を実施。

明後日の土曜日は「「今は亡き鯰江川を辿って水郷の面影を探す」という題で城東区を案内するのだが39名、グルメ会はとんでもないお寿司と魚料理てんこ盛りで値段がとんでもなく安いお店、32名予約しているんだけど、台風が。先ほどお店に連絡すると明日の午前中まで待つとのこと。
中止するか、実施するか難しい・・・  


2018年04月09日

「まいど!大阪おもしろツアー 春爛漫に舞う桜、蕪村生れし毛馬を歩く 」を実施

4月8日は冬に戻ったかと思うぐらい寒かったが、今年の気候冬から一気に初夏の気温のため桜一気に咲き、春の嵐と雨のため散ってしまった。

地下鉄都島から
近衛天皇を苦しめた鵺、その鵺の遺骸が流れ着いた「鵺塚」、羅生門で鬼の腕を切り落としたとした勇将渡辺綱が愛馬をつないだ「駒つなぎの樟」。後白河法皇関連の遺跡等。平安時代の摩訶不思議な世界。後半は与謝野蕪村の故郷である桜まみれの毛馬から、古代から有名な鶯塚、亀岡街道を通り天六で解散。
その後、天満駅前の中華料理の「双龍居」で懇親会。

本日も30名を超える参加者、大いに盛り上がると同時に主催者の「アジア協会アジア友の会(JAFS)」 http://jafs.or.jp/ にも寄付がたくさん集まった次第である。

































































































  


2018年03月27日

春爛漫に舞う桜、蕪村生れし毛馬を歩く 4月8日(日)

チャリティウォーク
「 まいど!大阪おもしろツアー 春爛漫に舞う桜、蕪村生れし毛馬を歩く 」
私が実施するツァーの中で、一般参加できるチャリテーウォークです、
基本は各団体、クラブなどに依頼されて、知っているようで知らないおおさかのの良さを長年 、案内しています。

今回のツァーは、公益社団法人 アジア協会アジア友の会主催で7年前から、定期的に実施しています「まいど!大阪おもしろツァー」です。
なお、申し込みは直接アジア協会にお願いします
http://jafs.or.jp/

                記

大川の 千本桜 を眺めながら、都島から 毛馬 へそこは俳人 与謝蕪村 の故郷  淀川 を望む石碑に刻まれた句
  春風や堤長うして道遠し
昔  菜の花 が咲き乱れ 今 堤に咲き誇る 桜並木
水の都 大阪を守る 毛馬閘門 (こうもん) ゆったりと春景色を楽しみましょう

■日 時:2018年 4月8日(日)午後1時30分

■場 所: 都島駅(地下鉄谷町線)改札前集合
       東梅田駅から谷町線(都島・大日方面行き)で3駅、7分
■講師  大阪おもしろ案内人 沖本然生

 


  


2017年12月30日

まいど!大阪おもしろツアー 2018戌年! 開運おおさか七福神めぐりツアー 」

一人ではなかなか行けない 開運おおさか七福神めぐりツアー を実施します

「まいど!大阪おもしろツアー 2018戌年! 開運おおさか七福神めぐりツアー 」

■日 時:2018年 1月6日(土)10時 集合
■場 所: JR玉造駅(大阪環状線)北口改札前集合 
  大阪駅から環状線外回り(京橋・鶴橋方面行き)で15分
  行き方が分からなかったり、当日迷われた場合は

 世話人・篠塚(090-7096-2040)にお問い合わせください。

■参加費:  1000円 (支援寄付・資料代)
■案内役: おおさかおもしろ案内人・沖本然生さん
■定 員: 30名(要申し込み・先着順)


【チャリティーウォークとは】
参加費の一部を、アジア協会が現地団体と連携しながら実施しているインドの里子の教育支援費に役立てさせていただきます。
※ 小雨決行 ですが、天候の状況により中止することがありますので、 電話連絡先をお知らせください。
※歩きやすい服装と 十分な防寒対策 をお願いします。
※ 道頓堀周辺で自由昼食 (約1時間)とします。
※ 午後3時ごろ四天王寺で解散 します。
 お帰りは、地下鉄谷町線・四天王寺前夕陽ケ丘駅(北へ徒歩5分) またはJR天王寺駅(南へ徒歩15分)
※ 歩行距離は約7km です。
※ 解散後の懇親会は今回行いません。

【お申込み】
下記リンクの申込みフォームを利用頂くか、
または本会まで電話・FAXでご連絡ください。
世話人・篠塚に、電話またはメールでのお申し込みも受け付けています。

http://jafs.or.jp/event/%e3%80%8c2018%e6%88%8c%e5%b9%b4%ef%bc%81%e9%96%8b%e9%81%8b%e3%81%8a%e3%81%8a%e3%81%95%e3%81%8b%e4%b8%83%e7%a6%8f%e7%a5%9e%e3%82%81%e3%81%90%e3%82%8a%e3%83%84%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%80%8d/




【問い合わせ】
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公益社団法人アジア協会アジア友の会
〒550-0002
大阪市西区江戸堀1-2-14肥後橋官報ビル5階
TEL/06-6444-0587 FAX/06-6444-0581
E-mail/ 上記サイト内申し込みフォームをご利用下さい。
URL/ http://jafs.or.jp/