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2025年01月17日

シニア自然大学校の本年最初の講座開始


シニア自然大学校の本年最初の講座が始まる
午前は
「知っているようで知らなかった『凄いぞ大阪の神社仏閣』」

という演題で10時から12時まで休みなしで講義を実施した。
内容は四天王寺と住吉大社についてです。
四天王寺は法隆寺より古い日本最古の官寺である。何故1400年を越える今日まで残ったのか、それ故に歴史と伝説、色々な謎を含んでいる。
住吉大社の住吉造は神明造の伊勢神宮、大社造の出雲大社と並んで最古級の神社形式(国宝)であるわけで。
1800年以上続いたその存在感、歴史、その本殿の並び方をはじめ数々の謎は存在する。
これら大阪の誇る歴史的遺産を文献、図面、画像で分かり易く、シニアでも興味が持って頂ける内容で講義をした。


午後は場所を四天王寺に移して現地講座。
「四天王寺の謎と庚申街道を歩く」
午前の講義内容に基づきより具体的に受講生の目で確認して頂き、日本最古の庚申街道を案内した。1300年前の歴史街道が今でもJRの線路、近鉄線路を地上を地下を今も残っていることを感じてもらった。

寒かったが皆さん熱心に私の話の耳を傾けて頂いく。シニア向けに講義内容を吟味している結果かな。
その後の講座担当者、ならびに講座生から今までの各講師陣の講座なかでも一番良かったとのメールを頂きホットする。



  


2025年01月12日

西長堀川界隈

寒いのでウロウロ外を歩くのではなく建物見学を主に考えました。
一同、行ってとのないところだらけと云うことで皆さんに喜ばれて良かったです。

細野ビルヂング
 細野組営業部として昭和11年に竣工した。細野組は明治時代、大阪市から大阪築港や御堂筋の工事を請け負い、芦屋六麓荘の総合開発、芦屋学園の創立などを手がけ商都大阪の完成に尽力した。その財力の贅を尽くして凝りに凝った造り。このビルの不思議は窓から柱、階段、部屋、それら全て非対称なのです。貴重なビルをオーナー自ら地下から屋上までを案内していただき感謝、感謝





西長堀団地
 日本住宅公団による都市型高層住宅の第1号で1958(昭和33年)に高層住宅の試金石としてこの西長堀アパートを建設した。初期の家賃は2DKで16,500円であり、当時の大卒初任給の1.4倍であった。この住宅には著名人の居住も多く、司馬遼太郎、森光子、野村克也や石浜恒夫などが居住していた。完成時高さも、家賃も大阪一番高い。

土佐稲荷神社(三菱発祥の地 岩崎家旧邸跡)
 かつては土佐藩蔵屋敷があり、明治2年(1869)、岩崎弥太郎が、後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で船3隻を入手して海運業を始めました。明治6年(1873)3月、三萎商会と改称。三菱財閥の起こりです。土佐稲荷神社は三菱発祥の地である。


木村 蒹葭堂(きむら けんかどう)
 江戸時代中期の、元文元年(1736)11月28日生まれ。造り酒屋と仕舞多屋を兼ねる商家の長子として生まれる。近年「浪速の知の巨人」と称され評価が高いが、その知識や収蔵品を求めて諸国から様々な文化人が延べ9万人彼の元に訪れた。

あみだ池大黒
 文化2年(1805)創業。米をおこしの原料にすることを思いつき参勤交代、回船等により全国に伝わる。また日露戦争時には、恩賜の菓子として阿弥陀池大黒のおこしが選ばれ35万箱を3ケ月の納期内に完納しました。おこしは兵隊達の人気を博し、昭和20年(1945)まで宮内省御用達となります。
全国各地から集められた約3500体の大黒様を集めた蔵は、第2次大戦の戦火でも焼け残る。年末の一番忙しいこの時期に貴重な大黒様のコレクション外、対応していただき、あみだ池大黒には感謝の気持ちが一杯。これからも大阪土産に使おう。


あみだ池(和光寺)
 阿弥陀池は古代からあって、霊水が湧く有難い池で、廃仏派の物部氏によって池に投げ捨てられた阿弥陀如来が、推古天皇10年(602)に信濃の住人・本田善光に拾われて善光寺まで運ばれたという言い伝えがあります。


鰹座橋、白髪橋、土佐稲荷等この辺りは土佐だらけ。
  


2024年07月27日

「天王寺蕪」旧天王寺村に残る安倍晴明と幽玄の世界を訪ねる

天王寺蕪は旧天王寺村付近が発祥で、江戸時代から栽培されている。主に漬け物需要が主である
阿部野のこの辺りは古来から畑と原っぱ、いわゆる原野でそこに古墳が点在し数々の能の舞台となった。それらに関する歴史が詰まった地を歩きました。


主な行程
大阪高等学校跡→小町塚・播磨塚→伝北畠顕家の墓→王子卓球センター跡→天王寺蕪記念碑→阿倍王子神社→熊野街道→安倍晴明神社→馬車鉄道跡→松虫塚

天王寺蕪

古地図

阪堺上町線

北畠顕家の墓
伝北畠顕家の墓:北畠顕家は南北朝時代の武将で、後醍醐天皇に仕え、父の親房公とともに奥羽平定にあたった人です。この地は太平記に「5月22日(1338延元3年)、和泉の境、阿倍野にて討死し給ひければ、相従う兵悉く(ことごとく)腹切り疲を被って(きずをおって)一人不残(ひとりのこらず)失せにけり」と記され、顕家公が20余騎の手兵で足利尊氏の大軍を迎え討ち、弱冠21歳で戦死したところと伝えられています。墓碑は、享保年間(380年後)に建てられたものです。

播磨、小町塚
古書「芦分船」には小野小町の墓と伝えられる。零落の果てに死んだとされる小野小町の墓は東北から九州まで全国にあると伝えられる。播磨南北朝時代合戦で戦死した播磨の武士を弔った塚と言われる。どちらもいつ造られたか分からない。もとは古墳ではないか言われている。

安倍清明誕生地
平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明(921~1005)の生誕伝承地であり、寛弘4年(1007)にその死を惜しんで花山上皇の勅により創建されたと伝えられています。
境内には、飛び跳ねた格好の白狐の像(葛の英霊狐飛来像)と「安倍晴明生誕伝承地」及び晴明の産湯を汲んだとされる井戸が並んでいます。


阿倍王子神社の天王寺蕪記念碑
天王寺蕪は旧天王寺村付近が発祥で、江戸時代から栽培されている。主に漬け物需要が主である
阿部野のこの辺りは古来から畑と原っぱ、いわゆる原野でそこに古墳が点在し数々の能の舞台となった。それらに関する歴史が詰まった地を歩きました。



  


2024年07月16日

夏期特別講座 「宗教都市大阪」

「大阪おもしろツァー」夏期特別講座
『宗教都市大阪』

日時:8月6日(火) 10:00~12:00
場所:城東区民センター(4F)
講師:「大阪をおもしろくする会」代表
    大阪歴史案内人 沖本然生
参加費:¥800

終了後 グルメ会有り

  


2024年06月21日

「勝間なんきん」 昭和の時間が流れる勝間街道から紀州街道

なにわ伝統野菜を訪ねての第1回目は「勝間なんきん」です。
大阪市西成区玉出町(旧勝間村)が発祥地。1キログラム程度の小型で縦溝とコブのある粘質の日本かぼちゃ。果皮は濃緑色だが、熟すと赤茶色になり甘みが増す。万延元年(1860)に勝間村の庄屋、百姓らが天満青物市場の行司あてに野菜7品に限り同村内での立売許可願を申し出ましたが、その中にも南京瓜と記載されています。果実は小さいものの美味で勝間村の特産品として、戦前まで生産されました。しかし都市化の影響や西洋カボチャの進出によって廃れてしまいました。

「こつまなんきん」は河内女の愛欲-今東光作こつまなんきん』で一時期有名になりました。

勝間(こつま)街道とは
紀州街道の側道で江戸時代に栄えた、難波から木津を経て粉浜新在家で紀州街道と合流する道で現在でもきっちり存在しています。街道筋には元祖たこ焼の名店や手作り味噌、煎餅、有名?駄菓子製造会社とか手作りで日本一の栄誉に輝いたソースメーカー、果ては他私有演劇が2座もあったり、大阪で天神橋商店街に次ぐ長い「鶴見橋商店街」もありタイムスリップ感が大いに味わうことができます。
明治時代の地図

現在の地図です
生根神社の「こつま南瓜塚」
豊受大御神(食物の神・外宮)より陽の気の精を賜った「こつま南瓜」の御霊を祀っています。昭和61年冬至に、「こつま南瓜祭」が神事として復活したと同時に現在の塚が建立される。毎年12月の冬至の日に「こつま南瓜祭り」は見物です。


サンヨー製菓株式会社
昭和21年(1946)、菓子製造開始。昭和36年(1961)「モロッコヨーグル」を開発。平成8年(1996)には、普通サイズ11個分のジャンボサイズ「ジャンボヨーグル」を発売して話題となる。


株式会社ハシモト
日本で唯一の型抜き製造メーカで、昭和27年1952)に当地に拠点を構えました。


株式会社池下商店(ヒシ梅ソース)
大正12年(1923)創業。大正15年(1926)にウスターソ「ス、昭和23年(1948)に「クマリソース」(とんかつソース)を発売。大阪で一銭焼きやたこ焼きの屋台などが登場したさいに、酒販店を通じて広がっていきました。工場は昭和30年代に建設。ラベルはすべて手張りで、手作業で製造しています。製造量は年間180キロリットルで、平成19年(2007)には、日本経済新聞のおすすめソースランキングで1位を獲得、知名度は全国区へと広がりました。



  


2024年06月15日

なにわ伝統野菜の地を訪ねる

昔から各地域の気候風土に適した様々な地域特産野菜が各地で栽培されてきました。とくに古代から大陸諸国への玄関口として,また近世には商工業や交易の中心地として栄え,「天下の台所」「食い倒れの町」と呼ばれてきた大阪には,各地から多種多様な食材や農作物の種子が集まってきました。その中から大阪の気候風土にあった野菜が選抜・改良され,「なにわの伝統野菜」と呼ばれる地域特産野菜として長年にわたり作り続けられてきたのです。

大阪は野菜の古里と言えます。最近は気候風土や食文化と深い関わりを持つ伝統野菜をはじめとする地域特産野菜が見直されて大阪も1984年ぐらいから見直そうという機運が高まってきました。
最近では、「難波葱」、「堺鷹の爪」「馬場なす」「貝塚澤茄子」が認定され22品目になりました。
これら大阪市にン\存在する、なにわ伝統野菜に記念碑のある所を辿り改めて野菜の地であることを感じて貰います。


  


2024年04月27日

ノダフジの古里、野田の歴史と「ななとこまいり」

怒濤の「ななとこまいりとノダフジ、歴史の旅」が25日の「近鉄文化サロン」『おもしろ大阪歴史さんぽ』で終了。
何と今年は4月16日から17日、20日、21日、25日と計5回も実施する事に。
団体もカルチャーからシニア自然大学校、自治会、とバラエティに富む。

ノダフジも2分咲きぐらいから満開までの期間実施した感じ。
野田の町は焼け残った町で江戸時代からの町並みが残り十字路は1つもなく複雑に入り組んだ路地裏だらけ、人間一人がやっという道も多く存在する。そこにお地蔵さんは点在するわけで。7つを回ると幸せが来るという言い伝え。
それと証如上人21人討死旧跡、野田城趾、惠美須神社、藤氏旧宅と歴史探訪、その間にも町内に咲き乱れるノダフジを案内しました。
ちなみに今度発行される新5000円札の裏はノダフジです。


現在地図


明治42年

旧藤邸内の春日神社にて集合写真


旧藤邸内の敷地内にて集合写真


ななとこまいりのお地蔵さん


同じく


阪神野田駅前

ノダフジ


保育園


新5000札のノダフジ

  


2024年04月13日

NHK文化センター梅田教室 新しい学期が始まります

NHK文化センター梅田教室の「大阪・街歩きと歴史の旅」
~なにわ伝統野菜・歴史を尋訪ねる~

が始まりました。早くも6年目に突入します。
毎月第2木曜日が講座日です。
毎回テーマを決めて実施していますが今回は趣向を変えなにわ伝統野菜のルーツを訪ねその街の歴史と共に案内します。
第1回目は「勝間南瓜」です。
江戸時代から続く勝間街道(こつま)を案内しましたがこの街道は、沿っている紀州街道と異なり地元に密着した街道で古くから地域で採れた野菜を大坂の街に運ぶために利用されてきました。

今も残るその街道筋には大衆演劇場が3軒、元祖のたこ焼屋、手焼きせんべい屋、駄菓子屋向けの会社、製造からラベル貼りまで手作業で日経で日本一のソース屋と称されたお店、またかって日本で2番目に長い商店街と称された鶴見橋商店街までレトロ感満載。

参加者も子供心に帰り買い物を楽しんだり、遊んだり雰囲気を大いに楽しんで頂きました。
次回は「玉造黒門越瓜」の町を訪ねます。


勝間なんきん


昭和7年古地図


NHK講座予定表


たこ焼元祖 会津屋


ジャンボヨーグル


カタヌキ


ヒシウメソース


大衆劇場


レトロな街道筋

  


2023年11月29日

天王寺七坂 南エリア

<太>北エリアの後は、四天王寺夕陽丘から四天王寺までを。
30名越える人数で相変わらず大人気。

七坂自体は残り「口縄坂」、「愛染坂」、「清水坂」、「天神坂」、「逢坂」の5か所だが夕陽丘由来の家隆塚、清水r寺、最古の多宝塔のある愛染堂、真田信繁終焉地の安居神社、縄文海進の跡、その他見所多くて、あっという間の3時間。





















  


2023年11月27日

天王寺七坂 北エリア

私の会「大阪おもしろツァー」、「天王寺七坂」を2回に分けて実施。
まずは北エリア、谷町4丁目から四天王寺夕陽丘までを。七坂自体は「真言坂」と「源聖寺坂」の2か所だが内容は豊富。
あっという間の3時間。

食事会は過去使っていた仕出し屋が廃業の為、仕方なくイタリアン