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2024年08月14日

聖徳太子は未来を見通せた?!

信仰の対象としての聖徳太子
今夏、「知っているようで知らない」シリーズで「宗教都市大阪」という演題でお話を
その中で「聖徳太子は未来を見通せた?」について
日本書紀に聖徳太子は「まだ実現していないことを、あらかじめ知っていた」という。 つまり聖徳太子は未来を語る予言者とある。時代ごとの書物にも見つかったとの記述が見られる。代表的なのは下記の通り。
◎『平家物語』巻八「山門御幸」
三種の神器をたずさえて、平家一門西国をめざして落ちていくという状況の中
「・・かかる事あるべしともおぼえず。聖徳太子の未来記にも、けふの事こそゆかしけれ」
◎『明月記』 1233年 (天福元年)11月20日の記述
瑪瑙(めのう)の石箱が発見され、そこに聖徳太子の未来記が刻まれていた。
◎『太平記』巻六の「正成天王寺未来記披見事」によると、正成が聖徳太子の未来記を見たのは1332 (元弘2年)8月3日
「隠岐に配流された後醍醐天皇が再び帝位に就き、鎌倉幕府を滅亡に導くであろう」という啓示を受けた。  
◎江戸時代には、「先代旧事本紀大成経」が発見され話題となる。
全72巻で構成されており、69巻の「未然本紀」が未来記?幕府は偽物であると断定し、出版と販売を固く禁じた

聖徳太子は未来を見通せた?!
●写真1  国宝「聖徳太子御手印縁起(四天王寺縁起 根本本」複製本
1007年(寛弘4)金堂から発見され、御手印縁起は聖徳太子が作成して手印を印したというもので,予言の書として世間の注目をあつめた。
ただそれは藤原道長の帰依と助成を期待して寺僧が偽作したものとされている。

聖徳太子は未来を見通せた?!
●写真2
国宝 「四天王寺縁起(後醍醐天皇宸翰本)」南北朝時代
                  「いずれも四天王寺」
後醍醐天皇宸翰本
楠木正成の後をうけ、建武2(1335)年5月8日に、後醍醐天皇が四天王寺にて『四天王寺縁起』を閲覧する。太子の本願に感銘を受けた天皇は、自から書写して正本とし、「太子の聖跡は何人の目にも触れさせるものではないので、これよりのちは堂内から出してはならない」と奥書にしたためた。
  ※宸翰とは 天皇の直筆の書でほとんどが国宝
その結果四天王寺は国家と繁栄は四天王寺があってのことと大いに地位向上
聖徳太子は未来を見通せた?!
このように古代から近世まで、時代ごとの宗教都市大阪に関する事例を分かり易く講義をした。2時間が2コマ4時間の講座です。
一時期「ノスタルダムスの予言」としてマスコミを賑わしてきましたが我が国の「聖徳太子の予言」の方が1000年程古くより多くの予言をしています。マスコミもよく分からんアチャラの人より日本の英雄の話を取り上げてほしいものです。
なお、聖徳太子の「未来記」に関しては色々な書物が出ています。皆さんも一度解釈されて見たらどうですか。



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