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2014年08月06日

最古の堀川、東横堀川を見聞する 其の1

本町の曲り
農人橋より望む

一区画分(約40間)東へ折れ曲がっている。
その理由は
1.浄国寺があり、寺地を避けたため。
2、大阪城外堀として敵の侵入を困難にするため。
3、昔から川筋が曲がっていたため。
色々な説があるがわからない
水流が急になるために水難事故が絶えなかったことから、付近の住民らで水難よけの「曲り淵地蔵尊」を祀った。
最古の堀川、東横堀川を見聞する 其の1

現在でも小さな祠が残っている 。また、この「本町の曲り」は上方落語「饅頭こわい」にも登場する

ゼー六
最古の堀川、東横堀川を見聞する 其の1

本町橋の西詰に仔む大正2年(1913)創業の老舗喫茶店。なんと創業100年。名物のアイスモナカは大阪人なら一度は食べたことがあるのでは。この最中のお持ち帰りが変わっている。ドライアイスとか氷ではなく新聞紙に包んでくれる。時間と季節に応じて枚数を調節してくれる。その新聞紙は販売店からもらうとのこと。何せ生半可な量ではない。
老舗なのに珈琲200円 アイス最中100年 熱いのと冷やこいので300円也

「ゼー六」とは「贅六文化」のことで、禄(資金)、閥(人脈)、
引き(裏交渉)、学(学歴)、太刀(武器)、身分、の6つの贅沢を
必要とせず、心の通じ合う商売をした大阪商人の生き方を大切にし
ようという初代の想いが込められています。

本町橋
最古の堀川、東横堀川を見聞する 其の1

現役の橋としては、大阪市内、現役最古の橋で100年になる。 豊臣秀吉が大阪城築城に際して東横堀川を外堀として開削した時に架けられたと考えられている。江戸時代には公儀橋の一つとして直接管理・維持がなされた。周囲には油問屋、木綿問屋が集まり、さらに呉服・古着屋が軒を連ねるなど、大坂で最も賑わう地域となった。現在でも川幅が大きいと思うが江戸時代は江戸時代のころの東横堀の幅は現在よりも広く、本町橋も橋長が47.8mあったという。

なお、この街歩きは公認社団法人(NGO)アジア協会アジア友の会(JAFS)主催のチャリティーウォークとして9月27日(土)に実施されます。
下記をアクセスしてみてください

http://jafs.or.jp/event/20140927walk/



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Posted by 沖本然生  at 15:49 │Comments(0)街案内おおさかの街ツァー

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