2021年11月20日
「六道の辻・閻魔地蔵」大阪の歴史と文化
大阪には不気味な場所がある。その一つが六道の辻。元々はこの世とあの世の境で京都東山の六道珍皇寺の井戸が有名ですね。
大阪では住吉大社の北門を北に行き、生根神社を横に見て阪堺電軌上町線の踏切を過ぎると摩訶不思議な交差点があります。
傍らに閻魔地蔵尊「大阪市住吉区東粉浜3丁目5−11」が建っています。ここが六道の辻です。
普通、交差点言えば三叉路か四叉路が当たり前ですね。それが5つも6つの道路が放射状に散らばっていたらそりゃ大変。昔は今と違って真っ暗闇なんですよ。真っ暗の中、夜道を酔っ払って帰るとしますね。どの道が自分の家に帰る道か分からなくなります。しかもその道の一つは焼場に繋がる地獄道だとすれば、怖いこと怖いこと。
原始仏教には六道輪廻の思想がありました。人は生前(前世)の行いによって地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの迷界生死を繰り返す。六道の辻は、この世とあの世の境と信じられてきて、もし地獄に落ちたときに助けてくれるのがこの閻魔地蔵。
このお堂は現在も講組織によって護持されており、常駐している方がおられます。親切にお参りの仕方を教えてくれますよ。
いつも子供、お年寄りのより所として地域に根ざしているのがホッコリして楽しい限りです。地蔵さんは案外大きく1.2メートル、天文7年(1538)の銘があり、中世の石仏としても希少な史料で、もとは難波の浜におわしたが、住吉の大神のもとにまつるようにとのお告げで、移されたという。
明治の廃仏毀釈でお堂も荒れたが、地域の人たちの尽力で復興したようだ。閻魔地蔵に地獄だけは是非ともご勘弁願えるようにとお参りしては。
同じような辻が鶴橋の街にもあります。その名も七福の辻「大阪府大阪市生野区鶴橋3丁目5」、ここは元々六道の辻だったのを大正時代、時の連合会長が無理矢理道を造り、地獄を転じて福にした訳です。なんと奇特な方か。大正時代、道の一本は太子火葬場に続く道でした。

大阪では住吉大社の北門を北に行き、生根神社を横に見て阪堺電軌上町線の踏切を過ぎると摩訶不思議な交差点があります。
傍らに閻魔地蔵尊「大阪市住吉区東粉浜3丁目5−11」が建っています。ここが六道の辻です。
普通、交差点言えば三叉路か四叉路が当たり前ですね。それが5つも6つの道路が放射状に散らばっていたらそりゃ大変。昔は今と違って真っ暗闇なんですよ。真っ暗の中、夜道を酔っ払って帰るとしますね。どの道が自分の家に帰る道か分からなくなります。しかもその道の一つは焼場に繋がる地獄道だとすれば、怖いこと怖いこと。
原始仏教には六道輪廻の思想がありました。人は生前(前世)の行いによって地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの迷界生死を繰り返す。六道の辻は、この世とあの世の境と信じられてきて、もし地獄に落ちたときに助けてくれるのがこの閻魔地蔵。
このお堂は現在も講組織によって護持されており、常駐している方がおられます。親切にお参りの仕方を教えてくれますよ。
いつも子供、お年寄りのより所として地域に根ざしているのがホッコリして楽しい限りです。地蔵さんは案外大きく1.2メートル、天文7年(1538)の銘があり、中世の石仏としても希少な史料で、もとは難波の浜におわしたが、住吉の大神のもとにまつるようにとのお告げで、移されたという。
明治の廃仏毀釈でお堂も荒れたが、地域の人たちの尽力で復興したようだ。閻魔地蔵に地獄だけは是非ともご勘弁願えるようにとお参りしては。
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以前は浪速区日本橋にもあったのだが近年、区画整理事業でそんな、複雑な道は整理され、面影すらありません。皆さんの回りにも謂われのある辻はありませんか。


大阪おもしろ学『大阪の地名由来』
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